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戦争遺跡平和学習

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鹿屋と戦争の歴史を知る

太平洋戦争が始まり、戦後が始まった地「鹿屋」

戦時中、鹿屋には3つの飛行場(笠野原・鹿屋・串良)がありました。
なかでも鹿屋基地は海軍の主力基地で、昭和16年には真珠湾攻撃の作成計画が練られた「鹿屋会談」が行われた基地としても知られています。
鹿屋基地1ビル
鹿屋基地
笠野原基地
串良基地
また終戦後の昭和20年9月4日には、鹿屋の金浜海岸に進駐軍が本土初上陸を果たしました。これらのことから、鹿屋は「戦争が始まり、戦後が始まった場所」として歴史に名を刻まれています。
金浜海岸
金浜海岸に上陸する進駐軍

特攻隊員が最も多く出撃した「鹿屋基地」

特攻隊出撃(桜花を積んだ一式陸攻)
なかでも鹿屋基地は、真珠湾攻撃の作戦計画が練られたことでも知られた主要基地で、戦争が激化した昭和20年になると、各基地の特別攻撃を指揮する第五航空艦隊司令部が鹿屋基地に置かれました。
鹿屋基地からは日本で最も多い908名、串良基地からは363名の特別攻撃隊員が出撃し戦死しています。

「戦争」と鹿屋、そして「戦後」へ

鹿屋は、日本で最も多くの特攻隊員が飛び立った地域です。

鹿屋にあった3つの飛行場

鹿屋基地の上空写真
鹿屋基地、笠野原基地、串良基地。鹿屋にあった3つの飛行場のなかでも、「鹿屋基地」は昭和11年に鹿屋海軍航空隊が開隊して以降、上海渡洋爆撃から終戦に至るまで、海軍の重要基地として活動し続けました。
昭和16年、真珠湾攻撃の作戦計画が練られて「鹿屋会談」が鹿屋基地内で行われ、対米戦争が始まるきっかけとなりました。

特攻隊の出動

串良「地下壕第一電信室」の様子(イメージ)
戦争が激化すると、昭和20年2月に第5航空艦隊司令部が鹿屋に設置され、鹿屋から各基地へ特別攻撃の命令が下されるようになります。
鹿屋基地から日本で最も多い908名の特別攻撃隊員が出動し、戦死しました。基地(現在の海上自衛隊鹿屋航空基地)周辺には、今もなお多くの戦争遺跡が残されています。

「戦後」のはじまり

高須海岸に上陸した進駐軍
終戦後の混乱の中、昭和20年9月3日に進駐軍の先遣隊が鹿屋基地に降り立ちます。先遣隊のシリン大佐は、「カミカゼ・ボーイはどこにいるのか」と最初に質問したそうです。
そして、翌4日、進駐軍アメリカ海兵隊2,500人が高須の金浜海岸に上陸しました。当時多くの人々が進駐軍を恐れ、山間部に逃れたと言われています。

「戦後80年」「永遠の0」で注目を集める「鹿屋」の戦争遺跡

戦後80年を迎える今、戦争の記憶をたどるように、多くの方が鹿屋市内の戦争遺跡を訪れています。 小説「永遠の0」のなかでは、主人公が鹿屋基地から出撃し、その足跡を辿るように子孫が鹿屋を訪れるシーンも登場しています。 鹿屋基地は現在も航空基地として使われている現役基地のため、鹿屋の空には今も飛行機が飛んでいます。 鹿屋は「戦争の爪痕」と「現在」が同居する数少ない地域です。

鹿屋基地関連年表

昭和11年 4月 1日
海軍鹿屋航空隊 開隊
昭和12年 8月14日~
上海渡洋爆撃
昭和16年 2月
「鹿屋会談」
鹿屋基地内1ビル内で真珠湾攻撃作戦が練られる。
昭和20年 2月10日
特攻作戦を指揮する第5航空艦隊が編成され、鹿屋に司令部が設置される
昭和20年 3月11日
鹿屋より初めて特別攻撃隊が出撃
梓特別攻撃隊 銀河24機がウルシーの米海軍拠点を攻撃
昭和20年 3月18日
鹿屋が初めて空襲を受ける
昭和20年 3月21日
神雷部隊が鹿屋基地から初出撃するも約160人が全滅
昭和20年 4月 6日~
菊水作戦が開始
昭和20年 6月21日
神雷部隊桜花隊が最後の出撃
昭和20年 6月26日
鹿屋基地から最後の神風特別攻撃隊第3白菊隊が出撃
昭和20年 8月15日
終 戦
昭和20年 9月 3日
進駐軍シリン大佐率いる先遣隊が鹿屋基地に到着
昭和20年 9月 4日
進駐軍本隊が高須の金浜海岸に本土初上陸
昭和29年 7月
海上自衛隊鹿屋航空基地が開隊

平和学習プログラム

戦跡フィールドワーク

地下壕第一電信室にて
平和学習ガイドがバスごと(クラスごと)に1名添乗し、戦争遺跡や車内にて80年以上前の史実や歴史をご案内し、生徒様一人ひとりが戦争と平和について考える機会を提供します。
 
【受入人数】最大8クラス(バス8台)まで
【受入期間】通 年
【所要時間】2時間半~3時間半
【受付時間】9:00~17:00
【料  金】有 料
【対  象】小・中・高校生
2~3クラスごとに分かれて、ローテーションを組んで見学する形が主流です。
 
 例:グループA 戦跡 ⇒ 鹿屋航空基地史料館 (別施設のため、要予約)
   グループB 鹿屋航空基地史料館 (別施設のため、要予約)  ⇒ 戦跡
 
複数コースをご用意しておりますので、お問合せください。
戦争遺跡は以下の4か所を含め、計7か所です。
地下壕第一電信室
海軍串良基地から出撃した特別攻撃隊から送られてくる最後の通信を受信していた施設です。空襲を避けるため、地下に作られています。
特攻隊員は、敵機に突入する寸前まで、電信を送っていました。
 
【場 所】鹿屋市串良町有里4963
【駐車場】バス3台
【トイレ】なし
【備 考】鹿屋市指定文化財
川東掩体壕
掩体壕とは、敵機の空襲等から飛行機を守るために作られたコンクリート製の格納庫のことです。 この掩体壕は笠野原基地で使用されたもので、戦時中は零戦が入っていたと言われています。
 
【場 所】鹿屋市川東町8206-1
【駐車場】バス3台
【トイレ】なし
【備 考】鹿屋市指定文化財
串良平和公園
海軍串良基地から出撃し命を落とした特別攻撃隊363名、一般攻撃隊210名の方々の御霊を祀る慰霊塔がある公園です。公園前の2本の直線道路は、戦時中に特攻隊が飛び立った滑走路跡がそのまま使用されています。
 
【場 所】鹿屋市串良町有里5183-1
【駐車場】バス10台(串良アリーナ駐車場)
【トイレ】あり
桜花の碑・神雷部隊宿舎(野里国民学校)跡
戦争末期、人間爆弾・桜花作戦で特攻した神雷部隊が、野里国民学校を宿舎として使用していました。この場所に建つ「桜花の碑」には、戦時下に報道班員として神雷部隊と生活を共にした作家・山岡荘八氏の隊員を見送ったつらい思い出と、若くして命を落とした隊員の鎮魂を望む切実な願いが綴られています。
 
【場 所】鹿屋市野里町
【駐車場】バス3台
【トイレ】なし

鹿屋航空基地史料館見学

旧海軍からの海軍航空に関する史料館で、2階では復元された零戦や特攻隊に関する資料を見学することができます。
 
【場 所】鹿屋市西原3丁目11-2
【ガイド】館内スタッフ
【受入人数】80名  【受入期間】通年(年末年始を除く)
【所要時間】60分~  【受入時間】9:00~17:00(最終入館16:30まで)
【料金】無料    【トイレ】有 
【お問合せ】TEL&FAX  0994-42-0233  
一般社団法人鹿屋市観光協会
〒893-0064
鹿児島県鹿屋市西原3丁目11-1
TEL.0994-41-7010
FAX.0994-41-6000

1.観光・ツーリズム思想及び意識の普及向上
2.特産品の開発普及及び販売促進
3.観光物産振興ための情報収集及び発信

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